私の専門は、教育です。大学でも教育学部で、オーストラリアに来てからも、週末日本人学校で教員として勤務しています。
今年は中学1、3年生の国語を担当していました。
中学3年生の最後の授業は「誰かの代わりに」鷲田清一さんによる書き下ろしの文でした。
教えながら、すごく考えるところがあったので、ここでシェアしたいと思います。
好きな事を仕事にしよう、という事が巷に溢れている昨今。
「私にしかできない事はなんだろう」
「私の得意な事はなんだろう」
そんな事を考え、探し求め、時にはそれがどうすれば仕事になるか考えている人が多いのではないかと思います。
個人セッションでも、私の使命が知りたいとか、能力が知りたいという質問をよくいただきます。
でも、そればかりを追い求めていくと、自分を苦しめる事にもなります。
自分は何が優れているのかわからない。自分は何もできない。。。。と。
そうすると、次は「ありのままのあなたでいいよ」と言ってくれ、受け入れてくれる存在が必要になってきます。
自分の存在意義を認めてくれる存在が、常に必要で、依存してしまう事だってあります。
あなたの存在意義を与えてくれるものを無意識のうちに待ってしまうのです。
そうすると、自分の思考は停止してしまい、知らず知らずのうちに自分から行動する事ができなくなってしまうのです。
「個性」を追い求めるがために、「自立」できなくなる。
ここでいう「自立」は「独立」ではありません。
なんでも、全て一人でこなす事は、現実的に無理だから。
では、「自立」ってなんでしょう?
みなさんは自立していますか?
自立と聞くと、お金を稼ぐことだけにフォーカスが当たってしまいがちですが、そうではありません。
教科書で筆者は、他の人との関わりの中で「だれかの代わりに」なれる準備ができている事。そして、だれかの代わりになり責任が自分で取れる準備ができている事だと書いていました。
なるほどなと、考えさせられました。
家族の中で、チームの中で、社会の中で、みなさんは「だれかの代わりになる」準備ができていますか?
そして、きちんと完了させ、責任を取れるでしょうか。
自分だけにしかできない事を探すのも大事ですが、自分の頭で考え、自分自身の行動に責任が取れ、いつでも困っている人、必要な人のかわりに、サポートできる存在であることが「自立」なのだと共感しました。
そうやって、他の人と足りないところを補いながら、他者を認めながら、協力しながら、自分の存在意義がクリアになっていくし、大切だと気がつくのだと思います。
もうすぐ、土星がみずがめ座に移ります。
みずがめ座は自立です。
ここに属しているから安心というものがなくなってきます。
自分自身で考えること、周りに振り回されないこと、大切になってくる時代ですね。
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